CITY POPの源流~日本のウエストコースト・サウンド

1960年代半ば~1970年代、アメリカ西海岸のカリフォルニア州を中心に発展したウエストコースト・サウンド。60年代のThe Beach BoysやThe Byrdsに始まり、CSN&Y、The Doobie Brothers、Jackson Browne、Linda Ronstadt、Janis Joplin、Grateful Dead、EaglesなどBIGアーティストの枚挙にいとまがない。いずれも、ゆったりとした開放感のある心地よいサウンドや美しいコーラスなどが特徴で、日本の音楽ファンにも大変な人気となり、当時のミュージック・シーンにも大きな影響を与えた。

野生の馬/シローとブレッド&バター

作詩:岩沢二弓/作曲:岩沢二弓

1972年3月リリースのアルバム『Moonlight』から。
1971年1月にタイガースを解散した岸部シローと1969年にデビューしていた兄弟デュオ “ブレッド&バター”によるユニットの作品。CSN&Yを彷彿させる3人の素晴らしいハーモニーが聞ける佳曲。1971年 4月にシングルとしてリリースされたが、アルバムではピアノがフィーチャーされた別ヴァージョンとなっている。この曲ではBa.後藤次利、Dr.林立夫、Piano.田中正子、A.Gt.石川鷹彦が、アルバムでは加藤和彦、鈴木茂、近田春夫、山内テツ、柳田ヒロ、矢野誠らが参加している。
 

クルージング・オン/ブレッド&バター

作詩:山上路夫/作曲:岩沢幸矢/編曲:松原正樹

1980年6月リリース、5thアルバム『MONDAY MORNING』から。
松原正樹、今剛、林立夫、斎藤ノブ、Mike Dunn、安藤芳彦とパラシュートの面々を演奏陣に迎え制作、“和製ウエストコースト・サウンド=湘南サウンド=ブレッド&バター”が確立されたと言えるアルバム。10曲中8曲が松原正樹のアレンジで、ギターを中心にしたサウンドが心地いい。この曲は、1981年にユーミン(呉田軽穂)作の「あの頃のまま」のカップリングでシングル・リリースされている。
 

夢が少しづつ/吉川忠英

作詞:関真次/作曲:吉川忠英

1974年10月リリース、1stソロ・アルバム『こころ』から。
今やアコースティック・ギターの名手として名高い吉川忠英のデビューはアメリカだった。1971年、フォークロック・グループTHE NEW FRONTIERSのメンバーとして渡米し西海岸を中心にライブ活動を行う。72年、グループ名をEASTと改名し、米国キャピトルレコードより全米デビューアルバム『EAST』を発売。帰国後、EASTから脱退しソロ活動に入り、この頃からスタジオ・ミュージシャンとしても活動を開始。
そして、74年にリリースされた初のソロ・アルバムは、ティン・パン・アレーが中心にバックを務めている。シングル・カットされた「夢が少しづつ」のペダル・スティールギターは、日本の第一人者・駒沢裕城の演奏で、印象的なウエストコースト・サウンドを引き出している。
 

吟遊詩人/GARO

作詞:阿久悠/作曲:日高富明、堀内護/編曲:松任谷正隆

1975年6月リリース、6thアルバム『吟遊詩人』から。
1971年にシングル「たんぽぽ」でデビューしたGARO。72年にリリースしたシングル「美しすぎて」のB面「学生街の喫茶店」が73年になってヒット・チャート1位を獲得し一躍人気グループになった。メンバー3人がA.Gt.とVo.を担当し美しいコーラスが特徴だった彼らは、CSN&Yの影響を強く受けておりCSN&Yの楽曲もレパートリーに加えていた。
このアルバムは阿久悠が全曲を作詞、レコーディングには細野晴臣、松任谷正隆、伊藤銀次、シュガーベイブ、吉田美奈子らが参加し、フリーソウルやプログレなど多様なアプローチを聞かせている。
 

コンサートツアー/めんたんぴん

作詞:露鳩半太/作曲:石崎三郎

1975年6月リリース、1stアルバム『MENTANPIN』から。
1969年石川県小松市で結成された「めんたんぴんブルースバンド」を母体に、72年に結成。73年8月に石川県山中町で第一回夕焼け祭りを開催、74年8月には郡山ワンステップフェスティバルに出演、そして75年にメジャーデビューしている。バンドでPA機材と4トン・トラックを購入しメンバー自らが機材設営も行い、車に揺られながら全国をツアーする“日本一のライブバンド”と謳われた彼ららしい曲だ。デビュー・アルバムのジャケット写真は、金沢市木倉町の伝説のロック喫茶「VIE VOGUE」の大テーブルで撮影されている。
 

ロック野郎/めんたんぴん

作詞:露鳩半太/作曲:石崎三郎

1976年8月リリース、3rdアルバム『カントリー・ブレックファスト』から。
LAのワーナー・ブラザース・スタジオでレコーディングされた3rdアルバム。A-1の「始まる場所は」からもレイドバックした彼らの雰囲気が伝わってくる。西海岸ロックからサザンロックの影響を受けツインDr.&トリプルGt.を擁するサウンドに日本語詞で歌う彼らのロックは圧巻。当時の日本語ロックの議論の答えはここにある。76年に2枚のアルバムを発表したもののヒットには恵まれず、計5枚のアルバムを残して81年に解散。Gt.池田洋一郎は脱退後の80年に東京でコクシネルを結成した。
 

うちわもめ/センチメンタル・シティ・ロマンス

作詞:中野督夫/作曲:中野督夫/編曲:センチメンタル・シティ・ロマンス

1975年8月リリース、1stアルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』から。
1973年3月、名古屋で活動していたGt.中野督夫、Key.細井豊、Ba.加藤文敏、Dr.田中毅に、Gt.告井延隆がリーダーとして加わりバンド結成。1974年8月に郡山ワンステップフェスティバル、75年5月には春一番コンサートに出演。
ディレクターの磯田秀人はプロデュースを細野晴臣に依頼したが、細野は「プロデュースの余地がない完璧なスタイルを創っていた」と評しアルバムでのクレジットはSentimental Romantistとなっている。西海岸の空気を運んで来るような秀逸なジャケットは、中西信行が描いたイラスト。
 

ハイウェイ・ソング/センチメンタル・シティ・ロマンス

作詞:中野督夫/作曲:中野督夫

1977年12月リリース、3rdアルバム『シティ・マジック』から。
1975年の冬に 田中が脱退し、Dr.に元・シュガーベイブの野口明彦が加入。洗練されたサウンドに日本的な情緒が漂うセンチらしさに磨きがかかった作品。「ハイウェイ・ソング」をはじめ近年でもライブでプレイされる楽曲が多く収録されており、2013年にはデジタル・リマスター盤でリイシューされた。
メンバーと機材を乗せ移動に使われたバスにはバンド・ロゴが大きくデザインされ、「センチの赤バス」と呼ばれファンやバンドマンの憧れだった。
 

海風/風

作詞:伊勢正三/作曲:伊勢正三/編曲:瀬尾一三

1977年10月リリース、4thアルバム『海風』から。
A.Gt.主体のフォーク・デュオだった彼らが、76年11月リリースの前作『Windless blue』では、E.Gt.に持ち換えウエストコースト・サウンドを取り入れることで大きく音楽性を拡げることに成功していた。そんな彼らが、ロサンゼルス郊外のマリブにあったIndigo Ranch Studioで録音。アレンジャーの瀬尾一三と共に合宿をしながらレコーディングに臨んだそうだが、見事にウエストコースト・サウンドと情緒的な風の音楽性が融合している。このアルバムは、オリコンチャート1位を記録。
 

Jet Plane/T-Bird

作詞:森田純一/作曲:小室良和

1979年リリース、2ndアルバム『Lightning』から。
1975年、Gt.Vo.小室良とGt.Vo.佐々木克彦が中心になって越中屋BANDを結成。同年8月には、めんたんぴん、夕焼け楽団、裸のラリーズらと共に第2回夕焼け祭に出演。その後、元THE LOVEのDr.Vo.田島康史を加えて“T-Bird”に改名、77年のグレッグ・オールマン来日公演の前座を務めた。1977年にメジャーデビュー。デビュー・アルバム『T-BIRD』のディレクションはセンチメンタル・シティ・ロマンスの告井延隆、2ndアルバム『Lightning』は今剛のディレクションという強力な布陣だった。バンドは3枚のアルバムを残し1981年に活動休止した。
  

オレンジ色の風/T-Bird

作詞:小室良和/作曲:小室良和/編曲:T-Bird、今剛

1979年リリース、T-Bird の3rdシングル。同年リリースの2ndアルバム「Lightning」にも収録。
石川県金沢市で結成されたT-Bird。この曲は、当時のホリデイ・イン金沢(現・ホテル金沢)のCMソングとして小室が書いた曲で、北陸で大量オンエアされ人気となりT-Birdでレコーディングし直したという経緯を持ち、シングルはオリコン7位を記録するヒットとなった。「オレンジ色にペイントしたバンド用のバスで北陸自動車道を走っている時に日本海に沈む夕陽を見て書いた」とGt.Vo.小室良は語っていたが、爽やかなウエストコースト・サウンドに仕上がっている。
残念ながら2020年1月にBa.山下好男が、5月にGt.Vo.小室良が他界した。
 

コメント