筒美京平のポップス

1940年5月28日、新宿区生まれ。2020年10月7日、80歳で死去。
幼少期からピアノを始め青山学院大学在学中はジャズに傾倒した。卒業後は日本グラモフォンに入社し洋楽ディレクターを担当しながら、大学時代のジャズ先輩だった作詞家・橋本淳の強い薦めで作曲家・すぎやまこういちに師事し作曲をはじめた。66年に藤浩一(後の子門真人)や望月浩らが競作で歌った「黄色いレモン」で作曲家デビュー。
68年12月25日リリースのいしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」で初のヒットチャート1位を獲得、日本レコード大賞では71年に尾崎紀世彦「また逢う日まで」で、79年にジュディ・オング「魅せられて」で大賞を受賞している。特に71年の第13回日本レコード大賞では大賞の「また逢う日まで」に加えて、平山三紀「真夏の出来事」で作曲賞、南沙織「17才」で新人賞、渚ゆう子「さいはて慕情」で歌唱賞、堺正章「さらば恋人」で大衆賞と総なめの歴史に残る年だった。
作曲家シングル総売上では7,560万枚を超え歴代1位。昭和~平成のヒットチャートを席捲し、数々の名曲を輩出してきた。2003年に紫綬褒章を受章。
当PLAYLISTは、【筒美京平のポップス Covers編】と対になっています。是非ご参照下さい。

また逢う日まで/尾崎紀世彦

作詞:阿久悠/作曲:筒美京平/編曲:筒美京平

1971年3月5日リリース、尾崎紀世彦の2ndシングル。オリコン9週連続1位を記録し、日本レコード大賞と日本歌謡大賞をダブル受賞した。71年7月25日リリースの『尾崎紀世彦セカンド・アルバム』にも収録されている。
この曲はズー・ニー・ヴーの「ひとりの悲しみ」というタイトルで1970年にリリースされたがヒットには至らなかった。曲を聴いた尾崎は自分で歌いたいと思うようになり、楽曲の良さを確信していた日音のプロデューサー・村上司の尽力により阿久悠が尾崎のために「別れ」をテーマにした歌詞に書き換え、タイトルも「また逢う日まで」となって世に出たという経緯を辿っている。
 

木綿のハンカチーフ/太田裕美

作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:筒美京平、萩田光雄

1975年12月5日リリースの3rdアルバム『心が風邪をひいた日』に収録され、12月21日に4thシングルとしてリリース。85万枚以上のセールスを記録するヒットとなった。
3rdアルバムからのシングル・カットだが再レコーディングされていて、イントロにある特徴的なバイオリンや全体でストリングスのアレンジが変更されている。また、歌詞もシングルでは「恋人よ いまも素顔で くち紅もつけないままか」だが、アルバムでは「恋人よ 君は素顔で くち紅もつけないままか」となっている。
 

東京ららばい/中原理恵

作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:筒美京平

1978年3月21日リリース、中原理恵の1stシングル。初のシングルであるが、同年2月25日にリリースしたアルバム『TOUCH ME』で先にレコード・デビューしていて、「東京ららばい」は78年12月5日にリリースした2ndアルバム『KILLING ME』に収録された。
この曲のヒットにより第20回日本レコード大賞で中原理恵は新人賞を筒美京平は作曲賞(中山晋平賞)を受賞。また、この曲で同年の第29回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。デビュー当時19歳だった彼女は、大人っぽい曲調に合わせるために年齢を数歳上に偽っていたそうだ。
 

飛んでイスタンブール/庄野真代

作詞:ちあき哲也/作曲:筒美京平/編曲:船山基紀

庄野真代は、デビューのきっかけとなったフォーク音楽祭関西四国大会でグランプリを獲得した「ジョーの肖像」を1976年5月1日にシングルとして、同年6月25日にデビュー・アルバム『あとりえ』をリリースした。洗練された都会派シンガーソングライターとしてとして注目されたもののヒットに恵まれず、5thシングルをヒットメーカーの筒美京平に依頼。担当の三野明洋ディレクターから“無国籍なイメージ”という提案を受け作り上げられたのが「飛んでイスタンブール」だった。
1978年4月1日にリリースされたこの曲は庄野真代自身の最大のヒット曲となったが、急遽の発売だったらしく、ヒットし始めてからジャケット写真を撮り直し、更に写真のバージョンを変えた為、実に3種類のジャケット・デザインがあるそうだ。78年6月25日にリリースした4thアルバム『ルフラン』にも収録されている。
 

たそがれマイ・ラブ/大橋純子

作詞:阿久悠/作曲:筒美京平/編曲:筒美京平

大橋純子は1974年6月にアルバム『フィーリング・ナウ』でデビュー。76年には彼女の念願だったバンド“大橋純子&美乃家セントラル・ステイション”(佐藤健や土屋昌巳らが在籍した)での活動をスタートさせ、77年に「シンプル・ラブ」がヒットしてソウルフルで抜群の歌唱力と音楽性が高く評価されることになった。78年8月5日にはTBS系ドラマ『獅子のごとく』の主題歌「たそがれマイ・ラブ」がソロ名義のシングルとしてリリースされ、彼女自身最大のヒット曲となった。ちなみに、カップリング(B面)は、バンドを軸に活動していた時期らしく作詞:松本隆/作曲:佐藤健による“大橋純子&美乃家セントラル・ステイション”名義の「ラプ・マシーン」だった。
 

セクシャルバイオレットNo.1/桑名正博

作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:桑名正博&ティアードロップス、戸塚修

桑名正博は1971年にファニー・カンパニーを結成し、翌72年にシングル「スウィートホーム大阪」でデビュー。“東のキャロル、西のファニカン”と評され人気を博した。76年、全曲自身で作曲したアルバム『Who Are You?』でソロ・デビュー。担当ディレクターの紹介で筒美京平に曲を依頼し、松本隆が作詞した「哀愁トゥナイト」を77年6月にソロ・デビューシングルとしてリリース。歌謡曲とロックを見事に融合させたこの作品から筒美・松本コンビの楽曲が続き、79年7月21日リリースの4thシングル「セクシャルバイオレットNo.1」は、歌謡曲フィールドのディスコ・ロックとして受け入れられヒットチャートNo.1を獲得している。79年12月16日リリース通算6枚目のアルバム『Communication』にも収録されている。
 

夏のクラクション/稲垣潤一

作詞:売野雅勇/作曲:筒美京平/編曲:井上鑑

1982年1月シングル「雨のリグレット」でのデビュー時に28歳と遅咲きだった稲垣潤一。しかし、彼の実力は70年代に地元・仙台のクラブのハコバン・メンバーとして洋楽を幅広くレパートリーとしていた経験に裏打ちされている。ひと声で彼とわかる声質に加えて、ドラマー&ヴォーカルという独特なスタイル、そして心動かすヴォーカルの“ニュアンス”“説得力”は圧倒的。83年7月21日に5thシングルとしてリリースされたこの曲は、“カセットGT-1”のCMソングに起用されスマッシュヒットとなった。
この曲の歌詞は筒美京平の指名で売野雅勇に依頼されたそうだが、売野の自著によれば、意外にも詞先で、「なんて音楽的な詞なんだ!って思った。音楽が聴こえてくるから、そのままメロディを書けばよかった。だから、すぐにメロディをつけられたよ」と筒美に絶賛されたそうだ。83年9月1日リリースの3rdアルバム『J.I.』にも収録されている。
 

Romanticが止まらない/C-C-B

作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:船山基紀、C-C-B

1985年1月25日にリリースされたC-C-Bの3rdシングル。85年5月25日にリリースの3rdアルバム『すてきなビート』ではオモシロ-MIXが収録されている。
筒美京平はドラム・笠浩二の透明感あるハイトーンヴォイスを気に入りリード・ヴォーカルに指名したそうだ。ピンクのメッシュを入れた髪、パステルカラーの眼鏡、シモンズを叩きながらヘッドセットで歌うスタイル、どれもが斬新で話題になった。演奏力も高くメンバー全員がヴォーカルを取れることに加え、船山基紀とバンドによるアレンジのテクノ風サウンドも先進的で人気を博した。
TBS系ドラマ「毎度おさわがせします」の主題歌のタイアップ企画にバンド名を改名し背水の陣で臨んだこの曲は、C-C-B最大のヒット曲となり同年の第27回日本レコード大賞では金賞を受賞している。また、2005年にはフジテレビ系ドラマ「電車男」の挿入歌にも起用された。
 

Oneway Generation/本田美奈子

作詞:秋元康/作曲:筒美京平/編曲:大谷和夫

1987年2月4日リリース、本田美奈子の9thシングル。
85年4月20日にシングル「殺意のバカンス」でデビューした本田美奈子。衣装や振り付けを自分で考えていたそうだが、アイドルと呼ばれることに抵抗があったことの表れかもしれない。87年TBS系ドラマ「パパはニュースキャスター」に本人役で出演し、主題歌となった「Oneway Generation」はドラマの好評にも支えられ20万枚のセールスを記録。更に自分らしさを表現出来る場を求めた彼女は90年秋にミュージカル「ミス・サイゴン」のオーディションを受け、約1万5千名の中からヒロイン・キム役に選ばれた。1年半に及ぶロングラン公演を演じ歌唱力と演技力が高く評価された。
2005年11月6日に急性骨髄性白血病のため38歳で死去したが、その2週間程前に発表されたミニアルバム『アメイジング・グレイス』には「ミス・サイゴン」以来の恩師である岩谷時子が日本語詞を書き下ろした「アメイジング・グレイス」が収録されており、死後に幾度もメディアで取り上げられることになった。アイドル~ミュージカル女優~クラシカル・クロスオーバー歌手と38年で駆け抜けた正に歌姫だった。
 

人魚/NOKKO

作詞:NOKKO/作曲:筒美京平/編曲:鄭東和、清水信之

NOKKOは1984年4月、REBECCAのヴォーカルとしてデビュー。91年2月にバンド解散後、ソロ・シンガーとして活動をスタート。92年には3rdシングル「I Will Catch U」で海外進出も果たし、全米Billboardダンスクラブプレイチャートで11位を記録した。
94年3月9日にはNOKKO自身の作詞、筒美京平の作曲による5thシングル「人魚」を発表。全米進出の際に出会い一緒に作品作りをしたテイ・トウワがアレンジで参加。フジテレビ系ドラマ「時をかける少女」の主題歌に起用され、プラチナディスクを獲得するヒットとなり彼女の代表曲となった。94年12月8日リリースの4thアルバム『colored』にも収録されている。
 

コメント