CITY POPの源流~1970年代の和製ボッサ

1958年にAntonio Carlos Jobimが「Chega de Saudade(想いあふれて)」をレコーディングしたことからボサノヴァの歴史は始まる。1960年代前半にはアメリカのJAZZ界で注目され、Joao GilbertoがStan Getzと共にレコーディングした『ゲッツ/ジルベルト』から「イパネマの娘」が1964年に大ヒットとなり、ボサノヴァは世界に広まった。
日本では、渡辺貞夫の功績が大きい。彼は1962年にバークリー音楽院へ留学し、アメリカのジャズメンとのセッションの中でボサノヴァと出会った。1965年に帰国後、ボサノヴァを演奏したアルバムを多数発表。ちょうど、Sergio Mendes & Brasil ’66の「Mas Que Nada(マシュ・ケ・ナダ)」の世界的ヒットもあり、日本でボサノヴァ・ブームが巻き起こった。
その後、日本では歌謡曲的な管弦のアレンジが付加されるなど独自の発展を遂げ、1970年代中盤にボサノヴァ歌謡がブームとなった。

白い波/ユキとヒデ

作詞:水木英二/作曲:渡辺貞夫

1967年7月リリース、“ユキとヒデ”のデビュー・シングル。渡辺貞夫プロデュースでデビューした“ユキとヒデ”。ユキは後にソロ・シンガーや女優として活動するアン真理子。ヒデは1968年に“ヒデとロザンナ”を結成したヒデ(出門英)。彼は、水木英二名義でこの曲の作詞も手がけている。
和製ボサノヴァのはしりにして傑作と評価の高いこの曲は、渡辺貞夫がサックス演奏でセルフカヴァーした他、何と!Astrud Gilbertoをはじめ、ヒデとロザンナ、トワ・エ・モア、高岡早紀らがカヴァーしている。1996年9月リリースのオムニバス・アルバム「ソフトロック・ドライヴィン~スノー・ドルフィン・サンバ」でCD化されている。
 

白い森/NOVO

作詞:西川利行/作曲:横倉裕/編曲:横倉裕

1973年リリース、NOVOの2ndシングル。1972年に結成、翌73年に2枚のシングルを残して解散してしまった幻のグループNOVO。リーダーの横倉裕は解散後に渡米、1988年に日本人として初めてGRPレコーズと契約しYUTAKA名でフュージョン・アルバムをリリース。Sergio Mendesのバックミュージシャンとしても活動している。
2003年にシングル曲4曲とお蔵入りになっていた音源を収録したアルバム『novo complete』が、2013年6月には更に新録音2曲を追加しデジタル・リマスタリングされた『LOVE IS THERE-NOVO COMPLETE WORKS』がリリースされた。両アルバムにはDiane Silverthornが歌う「白い森 -album version-」も収録されているが、藤川あおいが歌ったシングル・ヴァージョンの方がBPMが高く管弦のアレンジも施され完成度は高い。
 

二人の部屋で/吉川忠英

作詞:吉川忠英/作曲:吉川忠英/編曲:吉川忠英

1974年10月リリース、吉川忠英の1stアルバム『こころ』から。
1971年にTHE NEW FRONTIERSのメンバーとして渡米。和楽器をフィーチャーしたフォークロック・グループとして注目を集め、翌1972年に米Capitolレコードよりアルバム『EAST』(グループ名もEASTに改名)を全米でリリース。帰国後、EASTから脱退しソロ活動に入る。今やアコースティック・ギターの名手として名高い吉川忠英だが、この頃からスタジオ・ミュージシャンとしても活動を開始している。1974年にシンガーソングライターとして初のソロ・アルバムをリリース。B-5「二人の部屋で」では、A.Gt.はもちろん、コンガやカバサなどPerc.まで一人でレコーディングしている。
 

あの日にかえりたい/荒井由実

作詞:荒井由実/作曲:荒井由実/編曲:松任谷正隆

1975年10月リリース、荒井由実の6thシングル。1976年6月リリースのベスト・アルバム『YUMING BRAND』に収録された。
ニューミュージックという括りの黎明期に、数々の女性シンガー・ソングライターが台頭してくる最前線にいたユーミン。演奏はティン・パン・アレーの面々とPerc.に斉藤ノヴ、Cho.は山本潤子。山本潤子のイントロから一気に曲の世界に連れて行く秀逸なコーラスと細野晴臣のガットギターも聞きどころ。
後に多数のアーティストにカヴァーされた名曲だが、特に小野リサとMichael Franks (英詞「SOMEWHERE IN THE RAIN」)によるカヴァーは必聴。
 

どうぞこのまま/丸山圭子

作詞:丸山圭子/作曲:丸山圭子/編曲:青木望

1976年3月リリース、丸山圭子の2ndアルバム『黄昏めもりい』から。アルバム発売後にA-3「どうぞこのまま」が人気となり、同年7月に急遽シングル・カットされた。ボサノヴァ調のアレンジは本人の希望だったそうだが、22歳とは思えないソフトで色気のあるヴォーカルに惹きつけられる。翌年にかけてセールスは続き、オリコン最高5位を記録する大ヒットとなった。また、後に椎名林檎がカヴァーしたことでも知られる。『黄昏めもりい』には、山下達郎がコーラス・アレンジを担当し、大貫妙子、村松邦男と共にコーラスをつけたA-2「スカイラウンジ」も収録されている。
 

夏の光に/やまがたすみこ

作詞:喜多条忠/作曲:山県すみ子/編曲:渡辺俊幸

1976年7月リリース、やまがたすみこの6thアルバム『サマー・シェイド』から。喜多条忠の歌詞に惚れ込み自ら作曲したサマー・ボッサ「夏の光に」は、吉川忠英作曲の「白い桟橋」とカップリングで先行してシングル・カットされた。
ジャズやラグタイムの要素を取り入れるなどフォークシンガーからの転換点となったアルバムで、ファンの間では賛否両論あったようだが、CITY POPアルバムと評判の次のスタジオ・アルバム『FLYING』に繋がっていくのが分かる。
 

ソバカスのある少女/南佳孝

作詞:松本隆/作曲:鈴木茂/編曲:鈴木茂、坂本龍一

1977年4月リリース、南佳孝の3rdシングル。1975年11月にリリースされたティン・パン・アレーのアルバム『キャラメル・ママ』の同曲で南佳孝はゲスト・ヴォーカルを務めたが、そのカヴァーを3rdシングルとしてリリース。リズムを鈴木茂、管弦を坂本龍一がアレンジしている。彼が歌うこの曲には更にいくつかのヴァージョンがあり、2004年7月の『ROMANTICO』と2006年6月の南佳孝 with Rio Novo 名義『Bossa Alegre』でよりボサノヴァ寄りのリアレンジを発表している。和製ボッサの象徴的な一曲。
 

太陽のひとりごと/尾崎亜美

作詞:尾崎亜美/作曲:尾崎亜美/編曲:松任谷正隆

1977年6月リリース、尾崎亜美の2ndアルバム『MIND DROPS』から。ユニゾンの歌声は元 トワ・エ・モワの芥川澄夫。
シンガー・ソングライター尾崎亜美は76年にデビュー、ポスト・ユーミンとも呼ばれていた。77年2月にリリースした3rdシングル「マイ・ピュア・レディ」が資生堂・春のキャンペーンCMソングに起用され大ヒットし一躍注目を浴びる。同年6月にリリースされたアルバム『MIND DROPS』では、アルバム・コンセプトに沿わないという判断で当時最も有名だった「マイ・ピュア・レディ」を収録しなかったそうだ。アルバムは、松任谷正隆、林立夫、後藤次利、鈴木茂、斉藤ノブらが参加。プロデュースは松任谷正隆、タイトルの命名は松任谷由実。この翌年にデビューした杏里に「オリビアを聴きながら」を提供したことで、尾崎はソングライターとしての地位を不動のものにすることとなった。
 

そうしましょうね/庄野真代

作詞:小泉まさみ/作曲:小泉まさみ/編曲:松木恒秀

1977年9月リリース、庄野真代の3rdアルバム『ぱすてる 33 1/3』から。サウンド・プロデューサーは佐藤準。林立夫、後藤次利、田中章弘、松木恒秀、吉川忠英、斉藤ノブら名プレイヤーが参加して作り上げたアルバム。翌1978年の筒美京平作「飛んでイスタンブール」と「モンテカルロで乾杯」のヒットで一躍有名になった彼女だが、小泉まさみ作の愁いのあるボッサB-3「そうしましょうね」、ユーミンの名曲のカヴァーA-6「中央フリーウェイ」も秀逸で、多くのCITY POP感覚溢れる作品群を残している。
近年は、NPO法人国境なき楽団(2019年に解散)など音楽を通したボランティア活動に注力されている。
 

フェアウェル・パーティー/佐藤奈々子(nanaco)

作詞:佐藤奈々子/作曲:佐藤奈々子、佐野元春/編曲:横内章次

1977年12月リリース、佐藤奈々子の2ndアルバム『SWEET SWINGIN’』から。この曲は、「イブの月の上で」とのカップリングでシングル・カットされた。アレンジャーにジャズ・ギタリストの横内章次を起用したことで、彼女のヴォーカルはJAZZYでビターなテイストだが、アルバム全体ではCITY SOUNDをしっかり織り込んでいる。B-4「オリーブの風」もメロウ・ボッサの佳曲だ。
慶應義塾大学在学中に佐野元春と出会い、音楽活動をスタートさせた彼女。類いまれなるウィスパー・ヴォイスで後に多くのJ-POPシンガーに影響を与えたことで「元祖渋谷系女性シンガー」と評価されている。また、1981年に野宮真貴のデビューアルバム『ピンクの心』のために彼女が書き下ろした「Twiggy Twiggy」は、後にPIZZICATO FIVEによって再演されヒットしたことでも知られる。
 

思い出は美しすぎて/八神純子

作詞:八神純子/作曲:八神純子/編曲:戸塚修

1978年1月リリース、八神純子のデビュー・シングル。1974年に第8回ヤマハ・ポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)で、「雨の日のひとりごと」が優秀曲賞、「幸せの時」が入賞を獲得。同年12月にリリースしたプレ・デビュー・シングル「雨の日のひとりごと」から数えると3作目となる。1978年6月リリースの1stアルバム『思い出は美しすぎて』にも収録。透明感あふれる声と歌い出しから9thの響き、白い打弦式エレピを弾きながら歌う姿、サンバ調になる間奏でのサンバ・ホイッスル(当初は呼子笛だったそうだ)、どれもが新鮮だった。
1986年に結婚しロサンゼルスに移住。暫く活動を中断していたが、2011年東日本大震災の支援活動を機に日本での活動を再開している。
 

ブルー/渡辺真知子

作詞:渡辺真知子/作曲:渡辺真知子/編曲:船山基紀

1978年8月リリース、渡辺真知子の3rdシングル。同年11月リリースの2ndアルバム『フォグ・ランプ』にも収録。1975年第9回ヤマハ・ポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)にて、「オルゴールの恋唄」で審査員特別賞を受賞。1977年11月に「迷い道」でデビューした渡辺真知子。2ndシングル「かもめが翔んだ日」、3rdシングル「ブルー」と立て続けにヒットさせた。
近年はJAZZに傾倒している彼女だが、本人が大切にしているこの曲は、1984年のアルバム『B♭m 愛することだけすればよかった』や2014年『Amor Jazz2』をはじめ、ベスト盤やライブ音源で様々なリアレンジをして歌い続けてられている。
 

日付変更線/南佳孝

作詞:松任谷由実/作曲:南佳孝/編曲:坂本龍一

1978年9月リリース、南佳孝の3rdアルバム『SOUTH OF THE BORDER』から。7月に「プールサイド」とカップリングでシングル・カットされている。サウンド・プロデュースは坂本龍一。アルバムを通してボサノヴァやジャズを下敷きにしたアレンジが光る。レコーディングには、YMOメンバーやティン・パン系アーティストが多数参加している。ジャジーな2nd『忘れられた夏』から更に洗練された上質な「リゾート・ミュージック」に進化した彼の最高傑作。
この曲の作詞は松任谷由実、コーラスは大貫妙子。松任谷由実は2003年12月にリリースされたアルバム『Yuming Compositions:FACES』でセルフカヴァーしている。
 

 

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